50音エッセイ

 我ながら頭が悪いと思ったのだけれど、この50音エッセイを続けようにもなかなかモチベーションが上がらないのは、「50音である」ということ以外にテーマが無いからであるということに思い至った。もっと早く思い至るべきであった。
 もちろん、今は面白いアメリカのドラマとかもあってそれらに首ったけ状態になっているから、文章を書く時間が無くなっているという説もあるけれど、50音などというテーマにもならないテーマだけではどうにもならない。串田孫一先生は、別のある統一感を持ってそういうエッセイを書いていた。というわけで、僕も何かしら他の、自分のモチベーションが上がる統一テーマを考えたいと思う。

 どうでもいいけれど、ブログというものは面白い。僕がそういう人間というだけかもしれないけれど、いくらどこかでブログのテーマなるものを考えても、結局そのとき書きたいことというものは分散するもので、レビュー以外にここに書きたい「些末事」は何気に変容していくものだ。書くスタイルも当然変わる。内容が異なるわけであるから。そうなると、ここに引越した理由を鑑みてそれに逸脱しない程度に、自分のことを許容するのも大切なような気がしてきた(というのは壮大なる言い訳か)。


 さしあたって、書いてしまった「あ」「い」「う」はそのままにするとして、「え」から先のテーマを考えたいと思う。
 どうしようか・・・。
 今自分に関心のあることといったら、「日々の生活における様々なスタイルのコミュニケーション」であったりする。しかし、そんな大層なテーマで50音エッセイが書けるのか疑問だ。
 テーマを一つに絞るのが間違いなのかもしれない。コミュニケーションを一つの大枠として、それにまつわる小さなテーマがいくつもあるのがよさそうだ。
 友人関係、恋人関係、上下関係、動物との関係、街との関係、道具との関係・・・とにかく、ある人物(もしくは物、動物、植物など)とある人物(以下同文)との限定された関係におけるコミュニケーションを問題にしてみよう。
 これは、エッセイというかフィクション(もしくはノンフィクション)のショートショートになる可能性もある。その集成が意味を持つためには、登場人物が一定であった方がいいだろう。
 主人公は、「あ」「い」「う」に合わせる形で「僕」にする。ただし、これは僕のことであるとは限らない。ある人物のキャラクターを「僕」に仮託する可能性も十分あり得る。この「僕」には仲のいい友人が二人か三人いる。彼らが主人公になる可能性もある。もちろん、この友人たちが実在する人物と関係があるとしても、それは特定の人物を指すわけではなく、特定の人物たちの総合だ。
 場所は東京にしよう。それは僕自身が東京を好きになっているからであり、東京の街を散歩するがごとく書いた方がきっと楽しいから。今思いついたけど、50音エッセイの他に、駅エッセイとか街エッセイみたいなのも面白い。書くかどうかはともかく。東京で起こる様々な関係。そのためにはもっと東京について知る必要があるけれど・・・大丈夫だろうか。
 僕は映画や音楽が好きだから、毎回何かしら一編絡ませてみよう。


 その他、細かい設定は書きながら決めていくということで。
 あくまでこれはただの遊びなので、下らないことばかりでもご容赦を。そうならないように気をつけますけれども。


 とりあえず今日は終わり。