たまには

 研究室からちょっとした駄文を書き込んでみよう。
 他人のブログを見ているときに「只管」という単語を目にして、意味は分かっているのだけれど読み方がわからなかった。より正確には読み方を失念した。
 というわけで、みんなの「グーグル先生」にお尋ねしようと、ツールバーに「只管」と打ち込んだら、予測変換で「只管打坐」が出てきた。途端、この単語が「しかん」と発音することを思い出した。


 こは如何に。


 きっと四字熟語で覚えていたということなのだろうけれど、只管を見て只管打坐を思い出してもいい。塊でインプットしていただけでパーツでは頭に入っていなかったのか。全く不思議なことである。

 ちなみに、「只管」で「ひたすら」と訓読む。これには、只管打坐を見て、「しかん」が分かって初めて、思い至った。これもまた不思議なことである。
 
 記憶たちが、面白い芋づるで思いも寄らなかったところに接続されていることがよくある。只管打坐は同じ種類の芋同士を繋げていたようなものだけれど、芋づるをたどっていったら、例えばサツマイモに対するフライパンのような全く関係ないものと繋がると、一瞬驚いて、そして笑ってしまう。自分の場合、それは映像や音楽であることが多い。


 もっとたくさんの「エラー」を呼ぼう。