日本舞踊と身体

 今日舞踏の授業に、花柳流の花柳基氏がやってきた講義をした。能狂言は観たことあるくせに、実は歌舞伎を観たことが無く、当然(と言ってしまうと語弊があるかもしれないけれど)日本舞踊も観たことが無かった。というわけで、もうのっけから興味津々でした。
 敢えて詳細を記述することは避けますが、色々思ったことをメモ書き程度に。


 日本人の身体は、正座や安座に適していたらしい。故に、今のおばあちゃん年代より前の人たちは、イスに座っても正座してしまうことの方が多かったそうだ。その方が楽だから。むしろイスに座ると疲れてしまう。そして、座るにしても歩くにしてもどこか腰、正中線に重心があって、基本的に姿勢は低い。いわゆるきれいな姿勢というやつです。これが、イスに座ると姿勢が悪くなってしまう。日本人は、正座の座り方は知っていても、イスの座り方を知らないので、適当に座ってしまう。イスに座って作業をするにもその姿勢が分かっていないため、さらに姿勢が悪くなってしまう。イスにきれいに座ろうとすると疲れたりしませんか?
 僕の身体は、基本的には剣道で形成されて、それが狂言に受け継がれた形になっている(なんのこっちゃ)。地べたに座ることが慣れているし、素足もしくはそれに準ずる形でいる方が心地よい。しかし、家でも学校でも大体はイスで生活することが多く、結果としてはほぼ姿勢が悪い。歩いているときだけ妙に姿勢がよかったりする。
 という話は実はどうでもよいのだけれど、ここで重要なのは、美しい姿勢でいると、少しの動作も大きなものとして知覚することができるということ。能狂言でもそうだけれど、日本舞踊はさらにそれが重要だと感じた。指の先までの繊細な動きを表現するためには、まず姿勢が美しくなければならない。そうでなければ、小さな動きは全て姿勢に吸収されてしまって表出することができない。舞踊の動きは体の内部での動き、という表現もしていたけれど、そうした動きが可能であり、かつそうした動きを見せしめることが可能なのは、姿勢のおかげと言えるのでしょう。


 それで、基さんの動きはどうであったか。これがもうとんでもなく美しい。繊細なのです。動きの間はもちろんのこと、所作の一つ一つがすごくはっきり見えてくる。この姿勢は、長い間の蓄積なのだろうなと思った。
 そして、もう一つ重要なのはおそらく呼吸。基さんは、舞い踊っているとき、まるで息を止めているように見える。それだけ息を詰めているということだろうし、また呼吸が完全に動きと連動しているということなのでしょう。動きの中に呼吸が内在している。簡単なように聞こえるけれど、これはなかなかできないことです。
 圧巻なのは、「八島」(屋島?)を舞っている時にも全く乱れなかったこと。舞い終わった後でさえ乱れていない。能楽師は舞いながら乱れている人も多いけれど、この人は呼吸が完全に「仕草」になってしまっていて、その存在を忘れてしまう。


 日本舞踊に俄然興味を抱いてしまった。