散歩

 50音エッセイ。ある日の散歩を巡るお話を一部創作で。登場人物は「僕」とその友達の「木村」。もちろん架空の人物。イメージは深夜のラジオドラマ。


 僕はその日、新宿で木村と飲んでいた。最近はよくそういうことがある。何とはなしに急に誘われて、夜も遅くなった時間から飲み始める。大抵の場合、呼び出した彼は既に他のお店で一杯引っ掛けていたりして、僕には頑張っても追いつけないくらいにぐだぐだに酔っ払ってしまっている。彼は酔っ払うと、僕のことを意味も無くはたいて、どうでもいいことで大声で笑う。昔はそういう人と杯を交わすのが酷く苦手であったけれど、彼のおかげなのかなんなのか、最近では寧ろ面白がれるようにすらなった。
 木村は中野に住んでいる。いつものことだけれど、彼は、僕を呼び出した時と同じように急に、帰る、と言い出す。電車は既に終わってしまっているので、タクシーで。酔っ払った彼が、僕を連れて帰るという考えに至ることはまず無い。かと言って、僕も彼を引き連れてうちまで「お守り」するのはごめんなので、タクシーを捕まえるところまでしか相手をしない。「いつも悪いねえ。今日も楽しかったなあ。また飲むぞお」と、木村は去り際に必ず言う。「ああ、また飲もうね」と僕は言って、タクシーのドアを閉める。


 いつもなら、そこから別の店に移動して始発が動くまで待つか、新宿に住んでいる友達に連絡してその家まで行くかするのだけれど、その日は何故か歩きたい気分になった。空には雲一つ無いようで、異様に明るい新宿の空なのに、月も星も見える。家まで帰る道はすぐに頭に浮かんだ。今の時間は午前2時。ゆっくり歩いても5時にはうちに着ける。
 そうして、僕は夜の散歩をすることになった。
 新宿通りを歩いて四ッ谷方面に向かうと、道を走る車も少なくなって、人影がなくなってきた。どこかで飲んできて仲間同士で騒ぐ若者やサラリーマンが、田舎道の街灯のようにてんてんと存在するだけだった。
 四ッ谷にたどり着き、外堀の公園に入ると、急に自分が一人で歩いていることを実感した。ポータブルプレイヤーは電池が切れてしまって、聞こえてくるのは辺りの音だけ。電車も動いておらず車も通らないため、外堀の水の流れや周囲の木々のざわめきが、嫌という程耳をくすぐった。東京という街の中で、誰にも邪魔されることなく、ただ一人で道と戯れている。そう思ったとき、自分でも不思議な程に気分が解放されて、気付いたら大声で歌い出していた。誰もがそうだとは言わないけれど、解放されるとやはり歌いたくなるものなのだろうか。誰かが聞いていたらどうしようとか、そのような心配はもはや頭の片隅にもなかった。寧ろ誰か一緒に歌って欲しいと思ったくらいだ。
 三曲くらい歌ったところで飯田橋駅の灯りが見えてきた。車の通りが増えて急に恥ずかしさがこみ上げ、僕は歌うのを止めてしまった。時々前の方から人が走ってきた。彼らはいつも深夜に、ここら辺一帯をマラソンするのだろうか。そこで僕はふと立ち止まって考える。時間は既に3時を回っていた。走っている人たち、車を運転する人たち、ビルの一室で灯りをつけている人たち、駅で始発が動くのを待つ人たち……。彼らは、数時間後に、どのような新しい一日を迎えるのだろうか。今、僕「たち」は、この静かな夜の時間を飯田橋周辺で共有している。みな、一様にどこか疲れたような表情をしている。きっと、暫くしたら彼らは別々の場所で眠るだろう。それぞれの思いを抱きながら。次起き上がった時には、飯田橋で共有していた時間など忘れて、それぞれの新しい一日を生きていく。でもそれには、僅かながらでも飯田橋の時間が関係してくるだろう。僕だって、こうして散歩しようと思わなければこの飯田橋体験をすることは無かったわけで、そうしたら、次の日はまた少し違った一日になっていたかもしれない。
 そうこうしているうちに、後楽園に着いた。当たり前だけれど、ドームホテルも後楽園遊園地も、過去の遺物のように静まり返っていた。それらはまだ、昨日の出来事を物語っているだけであった。しかしこれもまた、あと数時間したら、新しい一日の物語を話し始める。普段なら何とも思わないようなことなのに、その時の僕はそのことがとんでもなく不思議なことのように感じた。僕はただ散歩の道すがらその近くを通っただけであるけれど、その一瞬にその場所が語っている物語と、別の瞬間にその場所が語っている物語は違うのだ。だとすれば、僕の方でも、毎回同じような気分で散歩していては面白くない。今はどんなお話を聞かせてくれるのか、これから散歩する時には、そうして耳を傾けることにしよう。
 長い坂を上がり、本郷に着いた。学校もまた、昼間とも夜とも違う顔を見せていた。普段あれだけ人がいるのが面倒と思う学校も、こう人も何もないところを見ると、人が往来してこその学校かと思いたくなってくる。時間は既に4時を回っている。早朝にマラソンや散歩をする人たちに混ざって、言うことを聞かなくなりそうになっている足に鞭打ちながら、僕は歩いている。ふと、体は非常に疲れているはずなのに、気分が妙に爽やかになっていくのを感じた。空気はもう新しい朝の味を感じさせ始めている。昨日の昼、部屋の掃除をしたことを思い出した。少しきれいになった部屋で、僕にはたくさん、できることがあるのだということを思った。朝の空気を吸い、散歩に出かけることを日課にしようと思った。最近僕が妙に疲れて感じていたのは、こうした種類の爽やかさ、清々しさのようなものを、忘れていたからではなかったのか。夜眠る時にその日一日のことを思うのと同じように、朝起きた時、新しく始まる一日のことを思う時間を、僕はすっかり忘れてしまっていた。


 僕は家まで一人で歩き続けていた。しかし、本当に散歩をするなら、決して一人になることは無いのだなと思った。3時間余りの間、僕はずっと街と、そこを行き交う人々と会話し続けていたのだから。
 そして、たくさんのお話を胸に、白み始めた空を見ながら、僕は眠りに就いた。